「人の上に立つべきリーダーの人物像とは?」
「現代社会を生き抜くためのヒントとは?」
2500年以上も前に書かれた古代中国の思想書『老子』には、現代社会を生きる私たちにとっても役立つヒントが満載です。
本記事では、老子の思想を「道」「無為自然」「水」といったキーワードをもとに、初心者の方にもわかりやすく解説していきます。
『老子』に興味はあるけれど、難しそうでなかなか手が出せないという方は、ぜひこの記事を読んで理解を深めてみてください。
老子とは?時代背景を踏まえて解説
老子とは、古代中国の春秋時代末期から戦国時代にかけて活躍したと伝えられる思想家です。
諸説ありますが、紀元前6~5世紀頃に実在の人物であったという説が有力視されています。
老子は、道家思想の開祖であり、その教えをまとめた書物『老子』は、道教の根本経典として、現代に至るまで多くの人々に愛読されています。
老子が活躍した春秋戦国時代は、歴史上まれに見る激動の時代でした。
周王朝の権威が失墜し、各地で群雄が割拠するようになると、人々は絶え間ない戦乱や政変に巻き込まれることになります。
そうした中で人々は、
- 乱世を生き抜くための知恵
- 理想的な国家のあり方
- 人生の意味
などについて、真剣に考えるようになりました。
老子は、こうした時代背景の中で、従来の考え方にとらわれない、全く新しい思想を打ち立てました。
老子の思想は、孔子が創始した儒教と対比されることが多く、儒教が「秩序」や「道徳」を重視するのに対し、老子は「自然」や「無為」を重視します。
老子は、複雑化した社会の中で人々が苦しんでいるのは、**「作為的な行動」**によって自然の摂理から離れてしまっているからだと考えました。
そして、人々が本来の自然な状態に立ち返ることによって、真の幸福と平和が実現すると説いたのです。
老子の思想を3つのテーマで解説
それでは、具体的に老子はどのような思想を説いたのでしょうか?
ここでは、老子の思想を以下の3つのテーマに分けて解説していきます。
- 道に従う人・道から外れる人
- 最も理想的なリーダーとは?
- 水のような生き方
1. 道に従う人・道から外れる人
老子の思想の根幹を成すのが「道(タオ)」という概念です。
「道」とは、森羅万象、宇宙の根源、世界の法則などを表す言葉であり、西洋哲学でいう「真理」「存在」「ロゴス」などに近い概念といえるでしょう。
老子は、万物の根源である「道」に従って生きることを理想としていました。
では、具体的に「道」とはどのようなものであり、「道に従う」とはどういうことなのでしょうか?
老子は、『老子』の中で以下のように述べています。
これが道であると説明できるような道は、ものの道ではない。これが名前だと呼べるような名前は、本物の名前ではない。道にはもともと名前はないが、これこそ万物の根源であり、そこから天地が生じ、万物が生まれたのである。
つまり、「道」とは、人間の言葉では表現できない、感覚的に捉えることのできない概念なのです。
「道」を理解しようとして、頭でっかちになってはいけません。
老子は、言葉や知識に頼るのではなく、**「無為自然」**の境地に至ることこそが「道」に近づくための唯一の方法であると説いています。
「無為自然」とは、読んで字のごとく「作為をせず、自然に任せること」ですが、決して「何もしないこと」を意味するわけではありません。
「無為自然」とは、**「天地万物の自然の摂理に従って生きること」であり、「私利私欲を捨て、宇宙の大きな流れに身を任せること」**を意味します。
たとえば、春夏秋冬といった季節の変化や、太陽の動き、植物の成長などは、人間がコントロールできるものではありません。
「無為自然」とは、こうした抗うことのできない大きな流れに逆らわず、ありのままを受け入れることを意味します。
老子は、「道」に従って生きる者は、目的を果たせば、それ以上の無駄な強硬策を取らないと述べています。
人間は、何らかの目標を達成しても、現状に満足できず、さらに上を目指したり、他人から認められたりしようと、必要以上の努力をしてしまいがちです。
しかし、老子は、そうした「余計な頑張り」は「道」から外れ、身を滅ぼすことになると考えていました。
たとえば、歴史を振り返ってみると、大きな成功を収めたにもかかわらず、さらに上を目指した結果、心身を壊してしまったり、周囲から反感を買って失脚したりするといった事例は枚挙に暇がありません。
老子は、「道」から外れた欲望、特に「自己顕示欲」に対して、非常に厳しい見方を示しており、『老子』の中で以下のように述べています。
つま先で立ち自分を大きく見せようとするものは、長く立ち続けることができない。大股で歩き、焦って先を急ごうとする者は、遠くまで行くことができない。これと同じように、自分の行動を良しとするものは、かえって世の中から遠ざけられ、自分を正しいと言い張るものは、かえって正しいと認められない。自分の才能を過信するものは、かえって長続きしないものである。
人は誰しも、自分を実際よりも大きく見せようとしてしまいがちですが、老子は、こうした「見栄」や「虚飾」を「無用の行為」として厳しく戒めています。
また、老子は、学問や知識でさえも「余計なもの」とみなし、以下のような言葉を残しています。
学を絶てば憂いなし。
これは、余計な知識を捨て去ることができれば、無駄な悩みがなくなり、人間は本来の自然な生き方を取り戻せるという意味です。
現代社会において、知識は非常に重要なものとされています。
もちろん、知識はあればあったほうが良いものではありますが、必ずしも「知識が多い=幸せ」というわけではありません。
知識が増えれば増えるほど、行動することが怖くなったり、深く考えすぎてしまいチャンスを逃してしまったりする可能性もあります。
現代人は、情報過多によって、むしろ不安やストレスを抱え込みやすくなっていると言えるでしょう。
2. 最も理想的なリーダーとは?
老子は、無為自然の生き方こそが「道」にかなう生き方であると説くと同時に、**「無為の政治」**こそが理想的な政治であると考えていました。
老子は、『老子』の中で、為政者の理想的なあり方について、以下のように述べています。
賢いものを尊重しなければ、民は争うことがなくなる。財貨を貴重品としなければ、民は盗むことがなくなる。欲望をかき立てるようなものを見なければ、民の心は乱されない。したがって、聖人が国を統治する場合は、民を「無知無欲」にすることである。
老子は、「為政者が特定の人物や価値観を優遇すると、民衆はそれを求めて争い始める」と考えていました。
そして、民衆を「無知無欲」の状態に導くことこそが、争いのない平和な国家を実現する唯一の方法であると説いたのです。
しかし、ここで注意しなければならないのは、老子の言う「無知無欲」とは、「民衆を愚民化すること」を意味するわけではないということです。
老子は、民衆一人ひとりの自主性を尊重し、それぞれが自然な形で能力を発揮できるような社会の実現を目指していました。
「無為の政治」とは、決して「なにもしないこと」ではありません。
「民衆を力で抑えつけようとするのではなく、一人ひとりの自主性を尊重し、自発的に行動できるような環境を整えること」こそが、為政者に求められる最も重要な役割なのです。
老子は、「大きな国を治める際には、小魚を煮るようにするべきである」と述べています。
小魚を煮るとき、下手にかき混ぜたり、つっついたりすると、身が崩れてしまいます。
それと同じように、国の政治においても、為政者が過度に介入しすぎると、かえって民衆が混乱し、社会が不安定になってしまいます。
これは、現代社会においても同様のことが言えるでしょう。
たとえば、仕事や教育の場面においても、上司や教師が部下や生徒に対して過干渉になると、かえって彼らの自主性や創造性を阻害してしまう可能性があります。
老子は、『老子』の中で、以下のように述べています。
世の中は、禁止事項が多くなればなるほど、人民は貧しくなり、武器が多くなればなるほど、国家はますます混乱し、巧みな技術を持てば持つほど、邪悪なものが生まれていく。ゆえに、聖人は、こういう私は、何もしないと人民は自ずとおさまる。私が事を起こさないと人民は自ずと豊かになる。私が無欲であると人民は自ずと素朴になる。
老子は、為政者が余計な介入をせず、民衆に自由に活動させることによって、社会は自然と安定し、豊かになっていくと説いたのです。
また、老子は、**最も理想的なリーダーとは、「部下から意識されないリーダー」**であると述べています。
「部下から意識されない」というと、一見頼りないリーダーのように思えてしまうかもしれませんが、決してそんなことはありません。
老子の言う「理想的なリーダー」とは、**「普段は目立たないところで、組織やチームのために尽力し、問題が起こりそうなときは、事前に手を打って解決しているリーダー」**のことです。
「理想的なリーダー」は、決して自分の手柄をアピールしたり、周囲から感謝されたりすることを求めません。
**「陰ながら周囲を支え、組織全体を成功に導くこと」**こそが、「理想的なリーダー」の役割なのです。
さらに老子は、権力者が陥りがちな「欲望の罠」について、以下のように述べています。
器にいっぱいの水を注ぐように、何事も満たし続けることはやめたほうがよい。刃物を限界まで鋭くしようとすれば、かえって折れやすくなるだろう。これと同じように、富も増えれば増えるほど、それを守らなければならないと心配事が増え、地位や名誉にこだわればこだわるほど、自分の身を滅ぼすことになる。したがって、自分の仕事を成し遂げたと思ったのなら、すぐに身を引きなさい。それこそが天の道である。
どんな分野であれ、有名になったり、高い地位に就いたりすることは、簡単なことではありません。
中には、家族や友人との時間を犠牲にしたり、心身をすり減らしたりして、やっとの思いで成功を掴んだ人もいるでしょう。
そうなると、せっかく手に入れた地位や名誉を手放したくないと考えるのは、ある意味当然のことかもしれません。
しかし、老子は、「いつまでも名声や権力にしがみついていると、周囲から反感を買ったり、思わぬ失敗をしてしまったりする可能性がある」と警告しています。
歴史上の人物を見ても、権力の座から潔く身を引き際を誤ってしまい、晩節を汚してしまったというケースは少なくありません。
老子は、「本当に優れた人物とは、自分自身を客観的に見ることができる人物である」と述べています。
人は誰でも、自分の能力や体力、精神力、外見などを過大評価してしまいがちです。
特に、年齢を重ねたり、社会的な地位が上がったりすると、周囲の人も気を使って本音を言ってくれなくなります。
そのため、自分ではまだまだやれると思っていても、実際には周囲から見放されているというケースも少なくありません。
老子は、こうした「自己過信の罠」に陥らないために、常に自分自身を客観的に見つめ直すことの重要性を説いたのです。
3. 水のような生き方
老子は、**「上善若水(じょうぜんはみずのごとし)」**という有名な言葉を残しています。
これは、「最高の徳は水のように、あらゆるものに恩恵を与えながら、決して争うことをしない」という意味です。
水は、
- 形がなく、どのような容器にも合わせて形を変えることができる
- 低いところに流れていき、決して高いところに留まろうとしない
- 岩をも砕く力を持つと同時に、どんなに汚れたものでも包み込む優しさを持っている
このように、水は、老子が理想とする「無為自然」の象徴であり、老子は、水のように生きることを勧めているのです。
『老子』には、以下のような一節があります。
理想は、水のような生き方である。水は、万に恩恵を与えながら相手に逆らわず、人の嫌がる低いところに身を置いている。世の中に水より柔らかく弱々しいものはない。しかし、硬くて強いものを責めるには水より勝るものはないのだ。弱々しいものがかえって強いものに勝ち、柔らかなものがかえって硬いものに勝つということは、天下の誰もが知っている。だが、それを実行する者は極めて少ない。本当に正しい言葉とは、常識とは反対に聞こえるものだ。
水は、一見弱々しく見えますが、実際には岩を砕き、地形を変えてしまうほどの力を持っています。
「柔よく剛を制す」という言葉もあるように、**「柔軟であること」**は、決して「弱い」ことを意味するわけではありません。
むしろ、柔軟性を持つことによって、変化の激しい現代社会を生き抜くことができると言えるでしょう。
たとえば、人間関係においても、自分の意見を一方的に押し付けるのではなく、まずは相手の意見に耳を傾け、状況に応じて柔軟に対応する方が、良好な関係を築ける可能性が高まります。
また、水は、低い場所に流れていき、決して高い場所に留まろうとはしません。
これは、**「謙虚であることの重要性」**を示唆しています。
現代社会では、「自己主張すること」「アピールすること」が重要視される傾向にありますが、老子は、**「本当に強い人間とは、周囲の人から尊敬され、信頼される人間である」**と考えていました。
老子は、水の姿から「謙虚さ」を学ぶべきであるとし、『老子』の中で以下のように述べています。
大きな海が何百もの河川の王者となり得るのは、どの河川よりも低い位置にいるからである。
海は、どんな川の水も分け隔てなく受け入れます。
どんなに汚れた水でも、すべてを受け入れて浄化してしまう海の懐の深さこそが、指導者が目指すべき姿であると言えるでしょう。
老子は、水の性質を「生と死」に結びつけて、以下のように述べています。
人間は生きている時には脆弱であるが、命が失われると固く強張ってしまうだろう。草や木といったあらゆる自然物も同じだ。生きているうちは柔らかくて脆いが、死んでしまうと枯れて硬くなる。つまり、硬くて強いことは死の仲間であり、柔らかくて弱いことは生の仲間なのである。
すべての生物は、生きているうちは水分を含んでおり、柔らかくしなやかです。
しかし、ひとたび命を失うと、水分が失われ、硬く冷たくなってしまいます。
老子は、「柔軟性」こそが「生命の力」の象徴であると考えていたのです。
老子の思想は、一見「消極的」「現実逃避」と捉えられがちですが、決してそんなことはありません。
老子は、**「自然の摂理に従うこと」「自分自身の欲望と向き合うこと」「周囲との調和を大切にすること」**の重要性を説き、私たちに「本当に大切なものは何か?」を問いかけ続けているのです。
【まとめ】老子の教えは普遍的!現代社会を生き抜くヒント
今回は、古代中国の思想家・老子の思想について解説してきました。
2500年以上も前に書かれた『老子』ですが、現代社会を生きる私たちにとっても、学ぶべき点は非常に多いのではないでしょうか?
ぜひ、今回の内容を参考に、『老子』を手に取ってみてください。